三友ヒストリー

第七話 到来した転換期

創業30年間を振り返って

三友は平成22(2010)年5月に創業30年を越えました。企業の平均寿命は30年という企業30年説が取り沙汰されることがあります。三友が創業したこの30余年の間に、日本経済は、高度成長、バブル経済の発生と崩壊、長期停滞期と推移しました。バブル経済期までは、①不動産鑑定料金の低廉化、②分かりやすい報告書、③顧客ニーズに応じた商品の多様化、④ワンストップ・サービスという前例のないスタイルで新たな顧客層を開拓し、事業を成長させてきました。バブル経済崩壊後は、金融機関が多額の不良債権処理に追われ、これに伴う担保不動産の評価需要増大が三友に大量の依頼をもたらしました。

つまり、この30余年の前半は顧客ニーズ最重視の戦略で金融機関が不動産鑑定を利用する際の障壁を除去して一連の担保評価関連商品を投入し、後半は世の中で発生した大量の不良債権処理に伴う鑑定評価などの特需を自らが用意しておいた受け皿で取り込むことができたとも言えます。

茹でガエル(蛙)になるな

会社の業績が創業以来の最高益を更新し続けたこの時期に、井上が社員に繰り返し言い聞かせたのが「茹でガエル(蛙)になるな」という言葉です。これは、「緩やかに昇温する水の中の蛙が、水温の上昇を知覚できずにいると、最後には茹でられて死んでしまう」という英国の思想家ベイトソンの寓話になぞらえて、現状に慢心していると、環境悪化への鈍感さが慢性化し、迫り来る危機にようやく気づいた頃にはもはや手遅れになることを説き、箴言としたものです。

その後、不良債権処理も収束し、不動産鑑定業界は、公共事業の減少による鑑定需要の縮小、公的機関の入札制への移行や一般企業における鑑定料金の相見積(複数の業者から見積を提出させて比較すること)の一般化なども相俟って業者間の料金下落競争が強まり、かつてのような収益性は期待できない時代となりました。不動産鑑定業者を取り巻く事業環境は悪化。「茹でガエル」の箴言通り、危機は顕在化したのです。

「つなげる技術」と「つながる技術」

井上の故郷・愛知県の猿投(「さなげ」・現在は豊田市)は、大正期に開墾された農村で、井上が過ごした当時はひなびた集落の中心に小さな個人商店や桶屋に下駄屋といった手工業者が軒を並べる平凡な田舎町で、志高き青年が夢を紡ぐ舞台とはなり得ませんでした。しかしながら、故郷のこの光景は井上の胸に小さな灯火をともしつづけ、折りに触れて、「あの慎ましき人々の暮らしを変えるにはどうしたらよいか」と、頭を巡らせていたといいます。やがて、井上はそこにひとつの答えを見いだしていきます。「そうだ。つながれば良いのではないか。個々の小さな存在のままでは無力だが、それぞれの得意分野や強みを持ち寄ってつながれば、大きな力を生み出せるかもしれない」。後に革新的な事業を興す井上の原点は、こうして形成されたのでした。

「つなげる」ことで新たな可能性を創出する。井上はまさにこの発想で不動産鑑定業界に新風を吹き込みました。三友という「ニーズの受け皿」に駆け出しの不動産鑑定士を、家庭の主婦を。そして膨大に蓄積された情報にIT技術を。「あ、これはつながる」とひらめくこともあれば、「もしかしたら、つながるかもしれない」と淡い期待しか持てない場合もありましたが、常に成果へと結びつける努力の積み重ねにより、三友という企業の中に「つなげる技術」というものが確かなノウハウとして蓄積されていったのです。

時代が変化するスピードはますます加速度を増しています。先行きの予測は困難で、5年単位、10年単位で事業そのものを見直していく必要があります。こうした中で、「つなげる技術」は今後も柔軟な対応力を発揮するための私たちの貴重な財産であることは間違いありません。しかし、磨きつづけることを忘れた技術はやがては錆びつき、劣化の途へ向かうこともまた明らかです。

「つなげる技術」とは、端的にいうなら、いかにしてWIN-WINの関係を築けるかということです。

図7:両者は表裏一体
図7:両者は表裏一体

当然のことながら「つなげる」ためには、自ら「つながる」側に立って相手にとっての自身の価値というものを検証しなければなりません。「つなげる技術」とは「つながる技術」と表裏一体で成り立つものといえるでしょう。

振り返れば、かつて新宿御苑のちっぽけなオフィスで、「つながる」相手を探して受話器を持つ井上のもう一方の手にしっかりと握りしめられていたもの。それはそのとき井上が創り上げようとしていたサービスの完成を待つ、多くのお客様のリストであったに違いありません。

「真のニーズ」はどこにあるか。

時代が変わっても私たちはただひたすらそれを追い求め、お客様の望む「答」をとことん実直に探し続けてゆくことでしょう。